面对自然 正当敬畏
「正しく怖がる」という言葉をよく耳にしだしたのは、新型肺炎の「SARS(サーズ)」が流行した頃だったか。10年前のことである。その後、未曽有の津波被害や原発事故を経験する中で、危険に向き合う戒めとして広まった感がある
“正当敬畏”一词的时有耳闻开始在病毒性肺炎“SARS”流行的那阵子,大约10年以前吧。从那以后,又经历了前所未有的海啸灾害及核电站泄露事故。在此灾害频频的情况下,作为一句面对危险的警句得到了进一步推广使用。
元祖とおぼしき言葉は、防災の警世家でもあった物理学者、寺田寅彦の随筆に出てくる。昭和10年、軽井沢で浅間山の噴火に遭遇した。カリフラワー形の噴煙が7、8キロまで立ちのぼったなどと細かく観察している
被视作开山鼻祖的这一说法,其实出自于物理学家同时也被称为防灾警世专家的寺田寅彦先生的随笔。昭和10(1935)年,在轻井泽遇到了浅间山喷发。据精密观察,喷发出的花椰菜似的烟雾上升到7、8千米的高度。
そのときの人々の言動を見て、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書き残した。色あせない一節を、浅間山ならぬ桜島の噴火に思い出した
看着当时人们的一言一行,他在随笔中留下了以下的看法,“过度无所畏惧和过度恐惧都容易做到,可是,正当地有所敬畏做起来则很难。”但面对着樱岛而并非浅间山的喷发,使我想起了这一段并不过时的话语。
噴煙は高いが、大規模な噴火につながるものではないという。それでも鹿児島市内は暗くなって、大量の降灰「ドカ灰」に見舞われた。この夏、猛暑豪雨の天変そして地異と、列島は息つく暇がない
据说,尽管喷发的烟雾升腾得很高,但是并未伴有大规模喷火的发生。纵然如此,也搞得鹿儿岛市内一片昏暗,大量从天而降的“火山灰”铺天盖地。今年夏季,除了酷暑暴雨等天灾外,更有地质异变的发生,整个列岛没有丝毫喘息的功夫。
夕立はゲリラ豪雨なる無法者に名を変え、各地でバケツをひっくり返す。秋田や山口などでは次々に発生する積乱雲が「経験のない大雨」や被害をもたらした。バックビルディング現象といい、予測困難というから恐ろしい
傍晚阵雨中时不时地也有一些突发性的暴雨,对于这一不守规矩的自然现象,它的名称也出现了变化,各地都称之为倾桶大雨。在秋田及山口等地接连出现的积雨云造成了“前所未有的大雨”及灾害。这种被称为摞列式积雨云的形象,因为预测困难所以非常可怕。
専門家によれば、人は危険に遭遇したとき「たいしたことはない」と思いたがる心理傾向があるという。ならば寅彦の「正当にこわがる」は、「しっかり怖がる」に改めて胸に畳んだ方が身を助けよう。逃げるに如(し)かず。この格言も色あせない。
据专家研究称,当人们遇到危险之后,往往会产生一种“没什么了不起”的心理倾向。倘若真是如此,那么,一改“惊恐万状”而将寅彦先生所提出的“正当敬畏”牢记于心,定会有助于自身救护。走为上,这也是一句不会过时的格言。
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