富士松原 申遗成功
よく晴れていると、自宅近くの私鉄駅の高架ホームから富士山が望める。そのたびに、しばし見入ってしまうことになる。〈風に靡くふじの煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひ哉〉西行(さいぎょう)。いまは煙は上がっていないけれど、やはり物思いを誘う
晴空万里的时候,从寒舍附近私营铁路车站的高架站台能够眺望富士山。每逢此时,我都会看得入了神。并且还联想到西行的一首和歌,〈富士山顶腾余烟,风靡消散碧空间,世事人生亦如此,去向何方难预言〉。如今虽已无袅袅烟雾,可仍能勾起我的许多思緖。
霊峰の世界文化遺産登録は、そこに三保松原(みほのまつばら)も含めるという驚きの結果となった。45キロも離れていて「山の一部」と考えられないとされていたが、各国が「一体だ」と応援し、判断が覆った。日本の主張がわかってもらえたのは喜ばしい
这座神奇的山峰申请世界文化遗产注册最后获得认定,而且还包括了三保松原地区。这一结果令人喜出望外。因为最初被认为此处远在45公里之外,无法视作“山的一部分”,可是,由于各国代表的“一致性”支持,最终推翻了先前的结论。日本的主张得到各方理解,这是可喜可贺的美事。
富士といえば松。おなじみの共演は、古今の美術や文学はもとより、ごく身近な場所でも少なからぬ日本人の目に触れてきた。銭湯を飾るペンキの背景画である。かつて足繁く通った身としては、湯船から見上げた雄大な絵柄が忘れられない
一提起富士山,就会联想到松树。司空见惯的联合出演,不仅限于从古到今的美术及文学作品,即便是身旁的日常生活中也经常映入日本百姓的眼帘。比如,美化浴池的背景油漆画就是其中之一。曾经不时光顾的我,忘不了那从热水池中抬头便可看到的雄伟景色。
いまや希少な存在となってしまった都内のペンキ絵師、丸山清人(きよと)さん(77)に電話をすると、「三保松原も一緒でよかった」と嬉しそうだった。50年以上かけて描いた背景画は、ざっと1万から1万2千枚という。もちろん富士に松は欠かせない。「でないと、どうも様にならない」
市内油漆画画师丸山清人先生(77岁)如今已成为了为数极少的珍宝。当接到我的报喜电话时他欣喜万分,“三保松原也算在一起,那可真是太好了!”已经画了50多年的他,粗略地估计大约已有了1万到1万2千幅了。当然,画富士山的时候是少不了松树的,“不这么搭配的话,不像样子。”
銭湯は減り続ける。背景画もペンキに代わりタイルが増えた。描き直しの注文も少なくなった。今は月に3、4軒を回る程度という。このたびの慶事を機に「どんどん仕事がくればいいけれど」と笑う
浴池正在持续减少,背景画也用瓷砖替代了油漆,因此,要求翻新的订单也少了许多。据说,现在一个月也就有个3、4家吧。他笑着调侃道,如果这次大喜能成为转机,“活儿大量增加的话,那就再好不过了!”
市井に深く根を張った景色の記憶。それも今回の各国への働きかけを支えたと思いたい。丸山さんらの働きにも乾杯、である。
我愿意这么认为,即保留在人们记忆中的这一幅深深扎根于市井的景象是这次争取各国理解的基础。同时,也要为丸山先生等人的劳动而举杯庆贺!
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