吉永祐介 与世长辞
その当時に流行語大賞があったら、どれが選ばれただろうかと考えてみる。有名な「記憶にございません」か、暗号めいた「ピーナツ」だろうか。1976(昭和51)年、戦後最大の疑獄といわれるロッキード事件で世に流布した言葉である
若在当时就有流行语大奖的话,其中的哪一个可能被评选上呢?是那句有名的“记忆中不曾有过”?还是颇有暗号味道的“花生(peanuts)”呢?这是因为1976(昭和51)年的那次被称为战后最大疑案的洛克希德事件而在社会上广为流传的两句话。
証人喚問のテレビに目が釘付けになった記憶を、50代以上の人はお持ちだろう。「今太閤」と呼ばれて政界に君臨した田中角栄元首相は、逮捕されて拘置所の人となった。事件は時代とともにある。街には「およげ!たいやきくん」の歌が流れていた
恐怕50多岁以上的那一代人都会有曾经目不转睛地紧盯着电视上传唤证人作证场面的记忆。被称为“今太阁”并称霸政界的田中角荣首相遭到了逮捕成了阶下囚。事件是时代的产物,当时的大街小巷正流行着名为“畅快地游吧!鲷鱼饼”的歌曲。
その捜査を指揮した吉永祐介さんが81歳で亡くなった。当時は東京地検特捜部の副部長で後に検事総長までのぼりつめた。「最強の捜査機関」と呼ばれ、巨悪が恐れた特捜の「顔」として名前を知られた人だった
指挥这项调查工作的吉永祐介先生去世了。当时身为东京地方检察院特搜部副部长的他后来晋升到检事总长的高位。作为被称作“最强大调查机关”连大贪巨恶也都惧怕三分的特搜部的“颜面”,他的大名妇孺皆知。
ひたむきで慎重な人柄は、仕事師、職人、実務家、努力家……と見る人によって表現が違った。責任感から、捜査の情報が漏れるのを嫌った。ゆえに記者ぎらいで、「泣かされたものだよ」と先輩の記者は振り返る
由于其坚韧执着处事慎重的人品,往往被不同的人不同地称作能工巧匠、手艺人、实干家、拼命三郎······因为责任感很强,所以特别忌讳调查信息的泄露。正因为此,就特别避讳记者,一些前辈记者曾回忆说,他是一个“令人束手无策的人”。
「特捜部の捜査は、山の稜線を歩いているようなもの。失敗は許されない」と、かつて本紙に語っていた。検察は近年、捜査の足を踏み外すなどして信頼を失ってきた。古巣の行く末を案じながらの、旅立ちではなかったか
他曾经在接受本报采访时称“特搜部的调查就好比是在山脊上行走,绝不容许失败。”可近年来,检察工作因为疏忽造成的失误,渐渐地失去了人们的信任。或许他在驾鹤西行的时候还在为长期工作过的大本营的今后发展方向而忧心忡忡呢。
検察それも特捜は、手柄や出世に敏い役人ではなく、正義に一途な仕事師であってほしいと思う。大きな存在が消えた今こそ肝に銘じるときだろう。むろん、自らに都合のよい正義ではなく。
我希望,从事检察工作当然也包括特搜部的工作官员,一个个都是一心维护正义的能工巧匠,而并非潜心经营业绩及如何出人头地的俗人。当这位泰斗级人物不复存在的今天,我们更应该铭记这一点。当然,所谓正义也绝非是以自己的标准而定的正义。
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