中国で大ヒットした張元(チャン・ユアン)監督のドキュメンタリー映画「クレイジー・イングリッシュ」(1999年)が公開された当初、この話題は日本のメディアに何度も取り上げられた。理由は、劇中で日本人の英語力について触れられているからだ。映画の中で、日本人の英語力についてどのように言及されているのか?それは、次の通りだ。「日本人の英語は1番ひどい。早口な上、日本語のなまりがひどくて、まったく聞き取れない。だから、(中国人は)英語をよく勉強して、日本へ行って稼げばいい」。完全に日本人は馬鹿にされている。しかし、このような言い方は全く科学的根拠に基づいていないもので、日本人にとっては非常に複雑な気持ちになる。
1999年由张元导演的纪录片电影《疯狂英语》在中国公映后风靡一时,这件事被日媒多次报道。理由便是片中触及了日本人的英语能力。在影片中是如何阐述日本人的英语能力的呢?原文如下:“日本人的英语太糟了。语速快、口音重,完全听不懂。所以,中国人好好学习英语,去日本赚钱吧。”完全把日本人当傻子了。但是,这样的说法完全是没有科学根据的,对日本人来说心情极其复杂。
確かに、日本人は英語が不得意だ。しかし、英語を習得できないわけではない。それどころか、日本は英語教育の発展に力を注いでいるし、日本人自身も英語の勉強には熱心だ。
日本人的确不擅长英语,可并不是说他们无法习得英语。相反,日本注力于英语教育的发展,日本人自身也对英语学习十分热忱。
日本人は、義務教育の6年間、さらに大学入学後の2年間、英語を勉強する。同時に、大学入試の英語の難易度も非常に高い。もし小説や論説などの難易度の高い英語がわからなければ、理想の大学に合格することは難しい。しかし、非常に難しい論文を読破したとしても、英語の会話能力は依然として低いままだ。恐らく英文の読解力は米国の中・高生の水準に達していても、一旦会話をし始めると、あっという間に小学生のレベルに下がってしまう。
日本人在六年义务教育阶段、甚至是考入大学后的两年期间,都需要学习英语。而且考大学的英语考试难度很高。如果无法理解小说、论文等高难度的英语,就无法考入理想的大学。不过,就算读懂了艰涩的论文,日本人的英语会话能力依然很差。恐怕即使达到美国初、高中生的英文读解能力,可一说话,一下子就打回原形,降到小学生以下的水平。
会話が不得意で、リスニング力も低い。言い換えれば、やはり英語が不得意で、英語が怖いのだ。英語恐怖症の日本人は英語を聞いただけでびくびくする。長い間、英語に対するコンプレックスと闘っており、このコンプレックスを消すために、日本人は大量の時間とお金を使っている。そのため、駅前や学生街、商店街、ショッピングセンターなど、どこに行っても英会話教室を目にする。今や英会話教室のビジネスも過当競争になっているほどだ。
日本人不仅不擅长会话,而且听力也很差。换言之,所谓的不擅长英语其实是对英语的恐惧。患了英语恐惧症的日本人,只是听听英语就显得战战兢兢。长期以来,为了与英语这一自卑情结斗争,日本人花费了大量的时间和金钱来消除自卑感。因而,车站前、学生街、商店街、购物中心等地,到处可见英语会话教室。如今,英语会话教室这一行当已成为竞争过剩的产物。
しかし、日本人はなぜこんなにも英語が不得意なのか?要因はさまざまだ。まず挙げられるのは、「島国」という環境が英語学習の障害となっている。欧州を例にあげると、フランス、イタリア、スペイン、ベルギー、スイスなど地続きの国は簡単に行き来ができる。このため語学を学習することは比較的容易となる。
话说回来,日本人为何那么不擅长英语呢?原因是多种多样的。首先要提到的是,“岛国”这一环境所造成的英语学习障碍。以欧洲为例,法国、意大利、西班牙、比利时、瑞士等土壤接邻的国家,彼此往来也十分便利。相比较而言,学习语言也更容易些。
このほか、日本人の外国語の習得が難しい最大の要因は、日本人の国民性にある。日本人は、何に対しても「恥ずかしい」と感じる。また、しゃべるのが不得意で、積極的にしゃべろうとしない。外国語を学ぶ際に最も重要だと見られているのは、「間違っていてもしゃべる」という精神だ。日本人に欠けているのは、まさにこの精神なのかもしれない。
另外,日本人学习外语最大的难关,在于日本人的国民性。日本人对什么都会感到“不好意思”。而且,如果不擅长讲话的人,就更不会积极地去说。学习外语最要紧的,便是“错了也要说”的精神。日本人所欠缺的,也许正是这种精神吧。
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