1250年以上一度も休むことなく続く伝統行事で、 寒い真冬の夜に、大松明を持った童子(どうじ)が観客の頭上に火の粉を散らしながら舞台を走り抜けます。
东大寺二月堂修二会是连续1250年一次也没有间断的传统活动,在寒冷的隆冬之夜,手拿着大火把的“童子”们边在观众的头上撒火星,边在舞台上奔走穿越。
二月堂の本尊十一面観音に、東大寺の僧侶が人々にかわって罪を懺悔して国家の安泰と万民の豊楽を祈る法要です。この行法の起源については、天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられます。以来一度も途絶えることなく続けられ、平成23年(2011)には1260回を向かえます。
这是由东大寺的僧众们代替众生向二月堂的主佛十一面观音忏悔业障,祈祷国泰民安的佛事。关于这个修法的起源,是由天平胜宝4年(752年)东大寺的开山祖师良弁僧正的高徒,实忠和尚开始流传下来的。从那以来一次也没有间断的举行着。到平成23年(2011年)迎来了第1260次佛事。
この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われていますが、もとは旧暦の2月1日から行われていましたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになりました。また二月堂の名もこのことに由来しています。
这个法会现在是从3月1日开始举行为期两周的法会,但是最先是从2月1日开始举行的,因为含有在二月修行法会的意思,所以称之为“修二会”。而且二月堂这个名字也是因此得名。
行中の3月12日深夜(13日の午前2時)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、毎晩7時(12日は7時30分,14日は6時30分)に行なわれる「お松明」は、長さ約6mにもなる大松明を童子(どうじ)と呼ばれる人がかつぎ、練行衆はその後について、二月堂のお堂へ入っていきます。夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」、「お松明」とも呼ばれるようになりました。
在举行法会期间的3月12日深夜(13日的上午2点),举行从名为若狭井的井里汲取供养给观音菩萨的“香水”,叫做“取水”的仪式。为了给做佛事的修行僧众们照亮道路,每晚7点(12日是7点30分,14日是6点30分)举行的“火把游行”,由称为童子的人举着长达6m左右的大火把,身后有众僧众跟随,进入二月堂。每晚,点燃大火把并交由各个参与的人们传送。因此“修二会”也被开始称为“取水”,“火把游行”了。
お水取りに続き、大松明を持った練行衆が内陣をかけまわる達陀(だったん)という妙法があり、15日にはダッタン帽を幼児にかぶせると健康に育つという風習が残っています。おたいまつは、1日から14日まで毎日上堂されます。このお水取りが終わると、奈良に春が訪れるといわれるほど古くから奈良の人々に親しまれる行事です.
“取水”之后,有一个殊胜的佛事,拿着大火把的修行僧众们在寺院内奔走,叫做“达陀”。还残留着在15号给小孩子带上鞑靼帽,让小孩子茁壮成长的这个风俗。大火把从1号开始到14号每天都放在大殿里。“取水”结束后,奈良的春天就会到来,因此这是从古时开始就为奈良人所喜爱的活动。
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