長らく空き家だったことも本丸御殿の数奇な歴史
长期无人的家也是本丸御殿的神奇历史
さて、まずは本丸御殿の基礎知識を頭に入れておきましょう。
那么,首先我们来了解一下本丸御殿的基础知识。
本丸御殿は名古屋城天守閣の隣に、天守より遅れること3年の慶長15年(1615)に完成しました。尾張藩初代藩主、徳川義直(家康の九男)と妻・春姫の住まいとして建てられたのですが、5年後に完成した二の丸御殿に2人が引っ越した後は空き家となり、江戸から将軍が訪れた時に使われる迎賓館になりました。将軍家で実際にここに泊まったのは家康を含むと2代・秀忠、3代・家光、14代・家茂(いえもち)だけ。家茂が慶応元年(1865)に宿泊したのは家光以来、何と231年ぶりでした。
本丸御殿在名古屋城天守阁旁。比天守阁晚3年,于庆长15年(1615年)建成。本来是为尾张藩初代藩主德川义直(德川家康的第九个儿子)和妻子春姬居住而建造的,但是5年之后二丸御殿建好了之后两个人就搬了过去,本丸御殿就闲置下来,变成了江户来的将军访问时候的迎宾馆。将军家在这里住过的,包括家康只有2代的秀忠、3代的家光、14代的家茂。家茂是庆应元年(1865年)来访的,距离之前家光访问这里居然隔了231年。
明治維新後は天皇家のための名古屋離宮に。昭和5年(1930)に名古屋市に下賜され、国宝に指定されました。しかし、第2次世界大戦下の昭和20年(1945)、アメリカ軍の空爆を受けて、天守閣もろとも燃え落ちてしまいました。
明治维新后,这里变成了天皇的名古屋离宫。昭和5年(1930)年赐予名古屋市并被指定为国宝。但是二战中的昭和20年(1945),本丸御殿和天守阁一同在美军轰炸下落为灰烬。
その後、天守閣は昭和34年に(1959)再建され、燦然と輝く金のシャチホコを戴き、名古屋のシンボルの座を不動のものとしてきました。天守閣と並ぶ城の中核だった本丸御殿の復元は、名古屋にとって長年の悲願で、平成21年(2009)についに復元工事が始まったのです。
在那之后的昭和34年(1959年),天守阁重建,披上金光灿灿的兽头瓦稳坐名古屋标志性建筑的宝座。跟天守阁平起平坐的城中核心本丸御殿则是在名古屋长年的哀怨中于平成21年(2009年)才开始复建工作的。