いつでもどこでも誰でも使える「お客様」
万能的“お客様”
韓国語は絶対敬語で、「お母様はおいでになりますか」という電話に、子供は「いいえ、お母様は外出していらっしゃいます」と答えるのだという。日本語の敬語のうち、韓国語並みに絶対敬語化してきているのが「お客様」という言葉だ。つまり、尊敬語とか謙譲語とかウチとかソトとかの使い分けに頭を悩ませることなく、いつでもどこでも誰でもそのまま使える単語になりつつあるということだ。
据说韩语中的敬语是绝对敬语,如果有人打来电话问“您母亲在家吗”,孩子就会回答“不,我母亲外出了(如今,日本人在这种情况下一般使用自谦语,具体见注释)”在日语敬语中,和韩语一样正在绝对敬语化的是“お客様”这个词,也就是说,不用因为要区分敬语、谦逊语,自己人、外人而头疼,不管是什么时候在哪是谁都能就那么用了。
注:絶対敬語とはある人に対しては、その人を含めてどの人からも、どの場面でも、常に一定の敬語をもって表現されるもの。神・天皇が自身に関して敬語を用いる奈良時代にこの傾向がみられる。日本の敬語は相対敬語ということで、組織外の人に、組織内の目上の人のことを話すときは、謙譲語を使うのが普通です。
ラジオで誰かが、ホテルの従業員のサービスに関する話をしていた。そして、「笑顔はお客様をハッピーにするだけではなくて、自分もハッピーになれるんですね」と言った。てっきり私は話し手をホテルの人だと思った。ところがそうではなかった。そのホテルをよく利用するという一般人だった。自分を含む集団(自分も客の一人)に敬称の「様」をつけてもよいのだろうか。せいぜい「お客さん」ではないのか。
在广播节目中,有人谈到和饭店工作人员的服务相关的内容,然后说了一句“笑容不仅能让客人高兴,也能给自己带来快乐哦”。我当时觉得说这话的人肯定是饭店的工作人员了,事实上却不是,只是经常光顾那儿的普通人罢了。对包括自己在内的人群(自己也是客人)使用尊称“様”合适吗?最多就是用“お客さん”吧。
勘三郎が見事に使い分けた四種類の「客」表現
勘三郎(歌舞伎演员)巧妙区分四种“客人”表达
誤
最近はマナーの悪いお客様が増えました。
最近没规矩的客人增加了。
「お客様」と尊敬語を使いながら非難するのは、どうもバランスが悪い。「様」はやめて、「最近はちょっとマナーに問題のあるお客さんが増えました」と婉曲に言ってみてはどうだろう。「お客様」が絶対敬語化すると、誰が話しているのかわかりにくくなるし、慇懃無礼にもつながりかねない。使い分けがよくわからないから、一番丁寧な「お客様」にしておけば無難だろう、ということでは情けない。
明明用了“お客様”这样的敬语却对其进行谴责,感觉甚是别扭。不如换掉“様”,委婉地这样说吧:“最近はちょっとマナーに問題のあるお客さんが増えました”。将“お客様”变成绝对敬语后,听者很难明白到底说话人是谁,也容易让人觉得只是表面恭维内心却瞧不起。如果是因为区分不清,索性用了最有礼貌的“お客様”,以为这样就没问题了,那真是太可笑了。
数年前、歌舞伎役者、中村勘三郎の日常を追ったテレビ番組を見た。先輩俳優、身の回りの世話をする人、劇場関係者、インタビュアー、家族、ファンらと言葉を交わす中で、「客」「お客」「お客さん」「お客様」の四種類を、勘三郎は、相手、場所、状況、話の内容に応じて変えていた。「客、入ってる?」「お客 あっての俺たちだよ」「お客さんが喜んでくれるのが一番うれしいです」「お客様に喜んでいただけるように精一杯演じますので、なにとぞよろしくお願い申し 上げます」という具合に。言葉を使い分けるとはこういうことだ、と感銘を受けた。
很多年前,我看过这样一个电视节目,是跟拍歌舞伎演员中村勘三郎的日常生活的。他在和前辈演员、身边帮忙的人、剧场相关人员、采访者、家人、粉丝等各种不一样的人交谈时,能够根据对象、场所、当前情况及对话内容灵活使用“客”“お客”“お客さん”“お客様”这四种说法,大概像这样,“客、入ってる?(客人们进来了么)”“お客あっての俺たちだよ(有客人才有我们哟)”“お客さんが喜んでくれるのが一番うれしいです(客人们看了满意,我们就再高兴不过了)”“お客様に喜んでいただけるように精一杯演じますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます(我们为了各位观众竭力做好演出,烦请多多关照)”。我看完后深受教诲,原来这才称得上是“会说话”啊。
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