江戸の町へタイムスリップしてみよう。だいたい150年くらい昔の長屋へ。場所は下町の深川だ。
试想,你进行一场光阴旅行,目的地是江户的街巷,前往的是大约150年前的长屋。位置就在下町的深川。
长屋外景
ここに住んでるのは、木場で木挽職人(こびきしょくにん)の大吉さん(40歳)と、女房のお高さん(35歳)だ。木場は、字の通り江戸に向けて全国から材木が海や川を経て集まってくる場所で、木挽職人も数多くいた。大吉さんは、木場で15のときから真面目に働いてきた人物で、長屋でもみんなから慕われている。長男(20歳)と次男(18歳)も大吉さんの後を継いで木場で働いて独立していると聞く。
住在这里的居民,是在贮木场干活的伐木工大吉(40岁)和她的夫人阿高(35岁)。贮木场,如其名字所示,也就是面向江户,通过陆路或海路,从全国集中木材的地方,很多伐木工都在这里工作。大吉从15岁开始就在贮木场勤恳工作,在长屋很受大伙儿的尊敬。听说,长子(20岁)和次子(18岁)也连续了父业在贮木场干活,开始独当一面了。
部屋には、商売柄大きなノコギリもあるし、その下には道具箱があった。奥さんは、きっときれい好きなんだろう。ふとんもちゃんとたたんで風呂敷に包んで部屋の隅に置いてある。台所もきれいだ。押し入れや天袋がないので、天井近くの梁に板を渡して物を置く、これも収納の工夫だろう。畳があって、家財道具も一通り揃っている。普通の長屋暮らしの世帯と思われる。家賃は月500文くらいだろうから、一人前の職人の収入の、16分の1といったところか。
房间里有主人赖以谋生的锯子,下方放置了一个工具箱。夫人肯定是位爱整齐的人吧。被褥叠得整整齐齐,用包袱裹好后搁在房间一角。厨房也收拾得很干净。由于没有壁橱或小柜橱,他们在天花板附近的横梁上架上了木板,用来放东西,如此也不失为一种收纳物品的好方法。房间里铺垫了草席,什物家具大致还齐全。这是一家普通的长屋住户。租金每月大约500文,差不多相当于一个熟手师傅收入的16分之1吧。
現代人にとって珍しいものとしては、中ほどの行灯、長火鉢、入口には蓑が吊り下がっている。神棚は、どこの長屋にもあった。みな信心深く、長屋の敷地内にあるお稲荷さんへのお参りは生活の一部でもある。
房屋中间有方形座灯、长火盆,入口挂着蓑衣,在现代人看来算是稀罕东西。哪一间长屋都会安顿神龛,大家都有深沉的信仰,前往长屋附近的稻荷神社参拜是生活的一部分。
ここで長屋の概略を簡単にまとめておこう。長屋は大きく分けて、武家屋敷の長屋と一般庶民の長屋がある。前者は、参勤交代のため江戸に住む大名の家臣や、中下級の武士が住んだ。今テーマにしているのは、後者の町民地の長屋である。一般に長屋は「九尺二間」といわれているサイズだ。各戸の間口が九尺(約2.7メートル)、奥行き二間(約3.2メートル)の広さのアパートと思えばいい。長屋によってサイズは多少違うが、ここに単身者も家族も暮らしていた。
这里对长屋做一个简朴的概括。长屋大致分为武家公馆的长屋与普通庶民的长屋。前者的住户是因参觐交代留住江户的大名家臣或中下级武士。本文所谈的主题是后者,也就是町人住区的长屋。一般来说,长屋的大小为九尺二间,也就相当于各户门面横宽九尺(约2.7米),纵深二间长(约3.2米)的公寓吧。不同的长屋面积也有相应的差异,在这里生活的人,既有单身汉也有一家几口。
ところで、長屋の暮らしを不便で、貧乏くさいと考えている人がいたら、それは大きな間違い。それは、現代人の感覚での比較に過ぎないからだ。テレビやパソコンがなくても、不便ではないはずだし、コンビニも必要ない。
有人觉得,长屋的生活既不方便也很穷酸,这样想可就错了,只不过是用现代人的眼光来比较。即便没有电视机和电脑,他们也不会感到不便,便利店也不是必要的。
長屋は一種の共同体で、大家も含めてみんなが助け合って生活した。「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」というわけである。困ったら、誰かが助けてくれるという安心感があった。マンションの一室で、奥さんが育児ノイローゼになるなんてことはあり得ないのである。貧乏は確かに貧乏である。でも、みんな貧乏である。それでいて気楽でのんびり暮らせた。江戸には、真面目に働けばとりあえずやっていける社会があったのだ。
长屋是一种共同体,包括房东在内,大伙儿都互帮互助,生活在同一屋檐下。房东如双亲,房客如爱子,说的就是这个道理。俗话说谁家有难帮谁家,这里就让人过得安心。在公寓的一间屋子里,夫人不会为育儿患上神经衰弱。贫穷的确是贫穷,但大伙儿都一样地贫穷。这里的生活无忧无虑、轻松恬静。在江户的社会,只要你勤恳做事,便能维持一人的生计。
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