本文作者介绍:
林国本,男,中国日语翻译界权威级人物,原为在日华侨第二代,新中国建国后回到祖国,归国后曾经在国家体委工作,1963年8月起一直在《北京周报》任职,在中译日的岗位上实践了30多年,其在职期间,曾经为周恩来等数位和国家领导人担任过翻译。并且连续25年应邀参加了全国人大及党代会翻译工作,党和国家领导人的许多重要讲稿均是由他翻译完成,至1995年退休后仍担任中国网和《北京周报》日文网改稿专家至今。
上期回顾:【翻译经验】成为“同传”的秘诀是什么?
私は今だに時々友人たちに、日本語教育と実務と関連のある会合に招かれているが、これは自分にとってもリアリティーと絶えず接触を保ち続け、システムの老化を防ぐ機会ととらえるとともに、マーケットの変化を肌で感じる学習の機会ともみなしている。私とともに仕事をしていた人の中には、十数年前から盆栽や「ザル碁(失礼!)」の世界に移住している人が多数いるが、私は、まったく予測していなかった「天変地異」で、私たちの年齢層の連中が次々と別の世界に「青い鳥」を求めて去っていったため、三十年近くの断層ができてしまい、結局、私が、「職人芸」としての仕事と勉強をずっとつづけることになってしまったが、オランダの学者ホイジンガーさんの学説「ホモ・ルーデンス」をひもといてみると、私がつづけてきたことは、見方によっては前出の元同僚諸君の「盆栽」や「ザル碁」と同じことだとさいきん考えるようになった。つまり、私が夢中になって楽しんでいることと連中がやっていることとは、原理的には同じことなのだと思う。
我时至今日还常常受朋友邀请,参加日语教育和实务相关的聚会,这对于我自身来说也是不间断的继续保持与现实接触、防止机能系统老化的机会,也视之为亲身感受社会变化的学习机会。曾与我共事的人当中,很多在十多年前就开始转而弄盆栽,下“外行围棋(抱歉!)”了,我完全没能预测到这样一种“天变地异”,跟我们同辈的人当中,大都转向别的爱好寻求“幸福”去了,于是形成了近30年的断层,结果我只能继续这门“手艺”的工作和学习,看了荷兰学者赫伊津哈的学说《游戏的人》,我最近在想,我一直从事的工作就有的看法来说和前面说的老同事们的“盆栽”或“外行围棋”其实是相同的。就是说我热衷从事并乐在其中的工作和同事们在做的事情就原理上来说是相同的。
では、なぜ私のようにごく少数の人間がこんなに楽しく、面白いことをずっと続けていられるのかというと、私たちの時代は、日本語を知っている人がすくなかったせいか、完全に売り手市場だったからだ。だから、私のようなごく普通の才能しかない人間もかなりいろんなチャンスに恵まれ、時代の風に乗ってここまで来ることができたわけである。ところが、今はどうか。私の友人の説では、中国にはすでに5万人以上の日本語を勉強した人がいる、ということだ。よく自分の履歴書なんかを持って、あちこちに面接を受けに行っている若者の姿も見かけるし、また、私は友人の推薦で日本語検定試験の審査員のような仕事もさせてもらっているので、今の若者たちは、たいへんだなあ、と同情のような気持ちを持っている。また、友人の推薦で、大学生の日本語作文の評議員みたいな仕事もさせてもらっているが、若者たちの真摯な姿を見て、感動している。この若者たちの純真さには胸を打たれるものがあった。
那么,为什么诸如我这种少数几个人能如此乐在其中并持续不懈呢?那是因为在我们的时代,懂日语的人凤毛麟角,完全是卖方市场。因此像我这种才能普通的人才能获得如此多的机会,乘着时代的春风一直走到了现在。然而现在又怎么样呢?据我的朋友说,现在中国有超过5万人学过日语。除了经常能看到带着自己简历到处去面试的年轻人的身影,我还经朋友推荐参加过日语鉴定考试的审查员工作,让我不由得同情现在的年轻人还真是辛苦啊。此外我还经朋友推荐担任过大学生的日语作文的评审员工作,看到年轻人的认真态度,让我受到感动。这些年轻人的纯真打动了我的心。
中国の日本向けの月刊誌で、現代日本文学に非常に興味を持っている中国の若者たちの存在も知った。
通过中国出版的面向日本的月刊杂志,我也知道了对现代日本文学非常感兴趣的中国年轻人的存在。
私もかつては、できそこないの文学青年の一人だったが、私が生きた中国の前世紀の60年代の時代環境は、「文学青年」としては、ダーウィーンの「種の起源」をみても、とても生存できそうにない状況であった。私は「文学青年」としての志向ときっぱり別れを告げて、レーニンの「国家と革命」の日本語版を精読し、時事・政治を主要な内容とする職場に適応し、特化する道を選んだ。かつての「文学青年」は姿を消してしまったのだ。
我曾经也是一个不成器的文学青年,我所在的中国上世纪60年代的时代背景里,作为“文学青年”,即使看了达尔文的《物种起源》也很难生存下去。于是我果断告别了“文学青年”的志向,转而精读列宁的《国家与革命》日文版,开始适应以时事政治为主的职场环境,选择了特殊化的道路。曾经的“文学青年”身影消失了。
しかし、改革・開放後の中国の若者には、広い選択の幅がある。中国の近代化に寄与する意思さえあれば、文学であろうと、社会学であろうと、自由に選び取ることができる。しかし、私のような古い世代から見ていると、選択の幅が広くなったことで、「自己の確立」、「アイデンティティーの確立」が難しくなったのではないかと感じている。つまり、「モラトリアム世代」の若者も現れるようになったのではないだろうか。
可是,改革开放后的中国年轻人有了更多的选择。只要对中国的现代化有贡献,不管是文学还是社会学都能自由选择。然而我这种老一辈的人来看,更多的选择不也使得“确立自我”以及“确立定位”更加困难了吗?这就是说也出现了“随波逐流的一代”,不是吗?
さいきん、中国のある大学で、貿易日本語学科を開設しているのを知った。私は保守的な考え方かもしれないが、大学ではこれほど早く特化する必要はないと思っている。基礎的な日本語、日本の文化を勉強するなかで自分の適性をみつけていく方が正解だと思っている。たとえば、世の中の教育ママだちは、子供の適正を考えることなく、やれピアノ教室、やれバイオリン教室とむりやり子供をそれに押し込んでいるが、すべての子供がショパンかバッハになれるわけではない。
最近我听说中国的某大学开设了贸易日语系。我的想法可能比较保守,不过我认为大学没必要过早的进行分化。我觉得还是要在基础日语和日本文化的学习当中来发现自己的资质才是正道。举个例子来说,社会上的教育妈妈们都不考虑是否合适,就强行把孩子送去钢琴教室小提琴教室学习,并不是所有的孩子都是肖邦巴赫的。
また、同時通訳に早くから特化しているケースも見られるが、カッコイイとか、ギャラが最高ということで若者たちの可能性をそのひとつのことに閉じ込めてしまうことにはかなりリスクがあるのではないだろうか。しっかりした基礎を固めることがいいのか、早期における特化がいいのかこれは教育家、教育心理学の専門家の教えを請いたいところである。
此外也能看到尽早进行同传专业训练的例子,因为看着光鲜或是酬劳高什么的,把年轻人的可能性封闭到那么一个小圈子里,这样做不是有很大的风险吗?打好坚实的基础更好呢,还是尽早分化更好呢,还真是想请教教育家和教育心理学的专家们。
さいきん、青年歌手コンクールという番組がテレビでオンエアされたが、クラシックあり、ポップミュージックあり、民族の歌い方をベースとしたものありで、それぞれの人たちが存分に自分の才能を発揮している。私はたまたま一歩先を歩んできた人間の一人として、5万人以上と言われる中国の日本語学徒がそれぞれにふさわしい「居場所」を見つけて充実した人生を送ることを願っている。とりわけ、メディアの世界で頑張っている若者たちには環境保全、省エネなどのホットな分野の勉強にも力を入れてもらいたいと願っている。人類の未来を念頭において、仕事の中でのニーズを先取りをしてもらいたい。
最近电视上在播青年歌手大赛,里面有古典乐,流行乐,也有基于民族唱法的歌曲,每个人都能充分发挥自己的才能。我作为偶然先行一步的人之一,希望多达5万的中国的日语学生能够找到符合各自的“居所”,度过充实的人生。尤其是希望在新闻界打拼的年轻人更要在环保节能等热门领域加强学习。在关心人类未来的基础上,来进行工作中的需求取舍。
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