日本語学習者にとって漢字の勉強はとても大変で嫌なものである。多くの学習者は避けたいと思っているが、日本語に漢字はどうしても必要であり、日本語教師としては頑張ってもらわなければならない。
对汉语圈以外的日语学习者来说,汉字的学习是件很辛苦、不情愿的事情。很多学习者想避开它,但汉字对日语来说又是不可或缺的。作为日语教师的我只能希望大家多多用功。
でも中には漢字が大好きな生徒もいる。先日そんな生徒から質問を受けた。「油断」という漢字はどうして「油」という漢字を使うんですか……である。うーん、これには参ってしまった。今までそんなこと考えたこともないし、質問されたこともない。全く見当もつかず、ごめんなさいと謝って、早速辞書を調べた。
但是,也有非常喜欢汉字的学生。前些天,一个学生问了我这样的问题,“「油断」这个词为什么用「油」这个汉字呢……”。呃,真服了他了。一直以来想都没想过这个问题,也没被问到过。由于我完全不清楚,只能对学生说对不起,然后马上回去查词典。
そしてとても気になったので、何人かの日本人に聞いてみた。油は滑りやすいから……とか、「油を売る」と関係あるのでは……など、いろいろ珍説も出たが、誰も「油断」の語源を真剣に考えたことなどない。でもそう言われてみると確かになぜ「油」が出てくるのか、ものすごく気になるのも事実である。
因为很在意这个问题,于是我询问了几个日本人。答案千奇百怪,有的说因为油很滑,有的说或许跟「油を売る」(工作时偷懒)有关,但没人认真地考虑过「油断」这个词的语源。「油断」到底为什么会用「油」这个汉字呢,真的很在意这个问题。
いろいろな説があるようだが、一説には王が下臣に油を持たせて歩かせ、一滴でもこぼしたら命を断つと命じた。この故事の「注意を怠って油をこぼしたら命を断つ」というのが「油断」の語源となっているとのこと。なるほど。ほかにも説があり定かではないが、なかなか面白い。でも生徒にはそのようなことはあまり気にせず勉強して……と言いたいところである。
貌似有很多说法。一种说法是,国王命令大臣端着油走路,如果有一滴洒出来就要杀了他。这个故事中的「注意を怠って油をこぼしたら命を断つ」(不注意让油洒出来的话就断了生路)是「油断」的语源。原来如此。其他还有很多说法,虽然不能确定,但很有意思。但是我想对学生说,别太在意这种问题,只管学习就行了。
そしてそのような漢字大好きな生徒たちと和食レストランに行った時によく話題に出るのが「すし」の漢字である。確かに三つの漢字がある。「鮓」「鮨」「寿司」であるが、その使い分けはどうなのか……、確かにややこしい。そんなことどうでもいいことだが、漢字が好きな上級者に対しては日本語教師としてちょっと意識しなければならない。
我跟那些很喜欢汉字的学生一起去和式餐厅时,经常会讨论的话题是「すし」的汉字。有三种汉字写法——「鮓」「鮨」「寿司」。怎样区别使用呢,确实很麻烦。虽然这是无所谓的事情,但面对那些喜欢汉字的学习者,作为日语教师的我必须有一定认识。
まず「すし」は形容詞、酸っぱいの「酸(す)し」から来ていると言われている。そして「鮓」の漢字は現在ほとんど使われておらず、あえて生徒に教える必要はないと思うが、「鮨」と「寿司」はよく見かけるので、その違いは上級者にとってとても気になる。
首先,「すし」由形容词「酸っぱい」(酸味)的「酸(す)し」(古语形容词)而来。而「鮓」的汉字现在基本上不使用了,没必要告诉学生。「鮨」和「寿司」这两种写法经常能看到,它们的区别也是日语进阶者很在意的。
「鮨」は昔から使われてきた漢字で、魚を旨く食べる……、当然「魚」と深い関係がある。一方「寿司」であるが、お祝いの席に「すし」がもてはやされ、「寿を司(つかさど)る」ということになり、「すし」の「当て字」として江戸末期から使い始めたらしい。ひょっとすると縁起を担いだ当時の若者言葉だったのかもしれない。
「鮨」是很久以前就使用的汉字,“很美味地吃鱼”……,当然跟「魚」有很深的关系。另一方面,「寿司」是由于在祝贺的酒席上,「すし」被大家极力称赞,认为是“掌管寿命”的事物,所以就作为「すし」的假借字从江户末期开始使用。或许这是当时迷信吉凶兆头的年轻人用语。
そして明治以降「寿司」が一般的に使われるようになり、確かに魚に関係ない「いなり」などは「いなり寿司」がふさわしい。でもやはり「寿司屋」より「鮨屋」のほうが高そうな感じが……。
明治以后「寿司」被普遍使用,比如和鱼没有关系的油炸豆腐寿司等,写成「いなり寿司」比较贴切。但我总觉得「鮨屋」比「寿司屋」更昂贵。
上級者になると漢字に関して油断ならない生徒もいる。たまには回転寿司でもご馳走しなければ……日本語教師もいろいろ大変である。
有的学生成为日语进阶者后对汉字很在意。偶尔我会请他们去吃回转寿司……当日语老师也很辛苦啊。
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