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日语翻译文学作品赏析《薬前薬後》

动漫日语  2014-05-15 15:451590
草花と果物

盂蘭盆うらぼんの迎い火を焚くという七月十三日のゆう方に、わたしは突然に強い差込みに襲われてたおれた。急性の胃痙攣いけいれんである。医師の応急手当で痙攣の苦痛は比較的に早く救われたが、元来胃腸を害しているというので、それから引きつづいて薬を飲む、かゆすする。おなじような養生法を半月以上も繰返して、八月の一日からともかくも病床をぬけ出すことになった。病人に好い時季というのもあるまいが、暑中の病人は一層難儀である。わたしはかなりに疲労してしまった。今でも机にむかって、まだ本当に物を書くほどの気力がない。
病臥びょうが中、はじめの一週間ほどは努めて安静を守っていたが、日がだんだんに経つに連れて、気分の好い日の朝晩には縁側へ出て小さい庭をながめることもある。わたしが現在住んでいるのは半蔵門に近いバラック建の二階家で、家も小さいが庭は更に小さく、わずかに八坪あまりのところへ一面に草花がえている。
若い書生が勤勉に手入れをしてくれるので、わたしの病臥中にも花壇はちっとも狼藉ろうぜきたる姿をみせていない。夏の花、秋の草、みなつつがなく生長している。これほどの狭い庭に幾種の草花類が栽えられてあるかと試みに数えてみると、ダリヤ、カンナ、コスモス、百合、撫子なでしこ石竹せきちく桔梗ききょう、矢車草、風露草、金魚草、月見草、おいらん草、孔雀草、黄蜀葵おうしょっき女郎花おみなえし男郎花おとこえし秋海棠しゅうかいどう、水引、けいとう、葉頭、白粉おしろい鳳仙花ほうせんか紫苑しおん、萩、すすき、日まわり、姫日まわり、夏菊と秋の菊数種、ほかに朝顔十四鉢――ずザッとこんなもので、一種が一株というわけではなく、一種で十余株の多きに上っているのもあるから、いかに好く整理されていたところで、その枝や葉や花がそれからそれへとおおい重なって、歌によむ「八重葎やえむぐらしげれる宿」といいそうな姿である。
そのほかにも桐や松や、柿や、椿、木犀もくせい山茶花さざんか躑躅つつじ、山吹のたぐいも雑然と栽えてあるので草木茂盛、枝や葉をかき分けなければ歩くことは出来ない。
「狭いところへ好くも栽え込んだものだな」と、わたしは自分ながら感心した。狭い庭を藪にして、好んで藪蚊の棲み家を作っている自分の物好きを笑うよりも、こうしてわずかに無趣味と殺風景から救われようと努めているバラック生活の寂しさを、今更のように考えさせられた。
わたしの家ばかりでなく、近所の住宅といわず、商店といわず、バラックの家々ではみな草花を栽えている。二尺か三尺の空地にもダリヤ、コスモス、日まわり、白粉のたぐいが必ず栽えてあるのは、震災以前にかつて見なかったことである。われわれはこうして救われるの外はないのであろうか。
わたしの現在の住宅は、麹町通こうじまちどおりの電車道に平行した北側の裏通りに面しているので、朝は五時頃から割引の電車が響く。夜は十二時半頃まで各方面から上って来る終電車の音がきこえる。それも勿論そうぞうしいには相違ないが、私の枕を最も強くゆすぶるものは貨物自動車と馬力である。これらの車は電車通りの比較的に狭いのを避けて、いずれもわたしの家の前の裏通りを通り抜けることにしているので、昼間はともあれ、夜はその車輪の音が枕の上に一層強く響いて来るのである。
病中不眠がちのわたしはこの頃その響きをいよいよ強く感じるようになった。夜も宵のあいだはまだ好い。終電車もみな通り過ぎてしまって、世間が初めてひっそりと鎮まって、いわゆる草木も眠るという午前二時三時の頃に、がたがたといい、がらがらという響きを立てて、ほとんど絶間もなしに通り過ぎるトラックと馬力の音、ことに馬力は速力が遅く、かつは幾台も繋がって通るので、枕にひびいている時間が長い。
病中わたしに取って更に不幸というべきは、この夜半の馬力が暑いあいだ最も多く通行することである。なんでも多摩川のあたりから水蜜桃や梨などの果物の籠を満載して、神田の青物市場へ送って行くので、この時刻に積荷を運び込むと、あたかも朝市の間に合うのだそうである。その馬力が五台、七台、乃至ないし十余台も繋がって行くのは、途中で奪われない认真であるという。いずれにしても、それがこの頃のわたしを悩ますことは一通りでない。
「これほどに私を苦しめて行くあの果物が、どこの食卓をにぎわして、誰の口に這入はいるか。」
わたしは寝ながらそんなことを考えた。それに付けて思い出されるのは、わたしが巴里パリに滞在していた頃、夏のあかつきの深いもやが一面にとざしている大きい並木の町に、馬の鈴の音がシャンシャン聞える。靄に隠されて、馬も人も車もみえない。ただ鈴の音が遠く近くきこえるばかりである。それは近在から野菜や果物を送って来る車で、このごろは桜ん坊が最も多いということであった。それ以来わたしは桜ん坊を食うたびに、並木の靄のうちに聞える鈴の音を思い出して、一種の詩情の湧いて来るのを禁じることが出来ない。
おなじ果物を運びながらも、東京の馬力では詩趣もない、詩情も起らない。いたずらに人の神経を苛立いらだたせるばかりである。

雁と蝙蝠

七月二十四日。きのうの雷雨のせいか、きょうは土用に入ってから最も凉しい日であった。昼のうちはくもっていたが、宵には薄月のひかりが洩れて、凉しい夜風がすだれ越しにそよそよと枕元へ流れ込んで来る。
病気から例の神経衰弱を誘い出したのと、連日の暑気と、朝から晩まで寝て暮しているのとで、毎晩どうも安らかに眠られない。今夜は凉しいから眠られるかと、十時頃から蚊帳かやを釣らせることにしたが、窓をしめ、雨戸をしめると、やはり蒸暑い。十一時を過ぎ、十二時を過ぎて、電車の響きもやや絶え絶えになった頃から少しうとうとして、やがて再び眼をさますと、襟首には気味のわるい汗が滲んでいる。その汗を拭いて、床の上に起き直って団扇うちわを使っていると、トタン葺の屋根に雨の音がはらはらときこえる。そのあいだに鳥の声が近くきこえた。
それは雁の鳴く声で、御堀の水の上から聞えて来ることを私はすぐに知った。御堀に雁の群が降りて来るのは珍しくないが、それには時候が早い。土用に入ってまだ幾日も過ぎないのに、雁の来るのはめずらしい。群に離れた孤雁が何かの途惑いをして迷って来たのかも知れないと思っていると、雁は雨のなかに二声三声つづけて叫んだ。
しずかにそれを聴いているうちに、私の眼のさきには昔の麹町こうじまちのすがたが浮び出した。そこには勿論自動車などは通らなかった。電車も通らなかった。スレート葺やトタン葺の家根も見えなかった。家根といえば瓦葺か板葺である。その家々の家根の上を秋風が高く吹いて、ゆう日のひかりが漸く薄れて来るころに、幾羽の雁の群が列をなして大空を高く低く渡ってゆく。ちまたに遊んでいる子供たちはそれを仰いで口々に呼ぶのである。
「あとの雁が先になったら、こうがい取らしょ。」
わたしも大きな口をあいて呼んだ。雁のつらは正しいものであるが、時にはその声々に誘われたように後列の雁が翼を振って前列を追いぬけることがある。あるいは野に伏兵ありとでも思うのか、前列後列がにわかに行を乱してかけりゆく時がある。空飛ぶ鳥が地上の人の号令を聞いたかのように感じられた時、子供たちは手をって舒畅を叫んだ。そうして、その鳥の群が遠くなるまで見送りながら立尽していると、秋のゆうぐれの寒さが襟にしみて来る。
秋になると、毎年それをくり返していたので、私に取っては忘れがたい少年時代の思い出の一つとなっているが、この頃では秋になっても東京の空を渡る雁の影も稀になった。まして往来のまん中に突っ立って、「笄取らしょ」などと声をらして叫んでいるような子供は一人もないらしい。
雁で思い出したが、蝙蝠も夏の宵の景物の一つであった。
江戸時代の錦絵には、柳の下に蝙蝠の飛んでいるさまを描いてあるのをしばしば見る。粋な芸妓などが柳橋あたりの河岸をあるいている、その背景には柳と蝙蝠を描くのがほとんど紋切形のようにもなっている。実際、むかしの江戸市中には沢山んでいたそうで、外国や支那の話にもあるように、化物屋敷という空家を探険してみたらば、そこにとしる蝙蝠が棲んでいるのを発見したというような実話がいくらも伝えられている。大きい奴になると、不意に飛びかかって人の生血を吸うのであるから、一種の吸血鬼といってもよい。相馬の古御所の破れた翠簾すいれんの外に大きい蝙蝠が飛んでいたなどは、確かに一段の鬼気を添えるもので、昔の画家の働きである。
しかし市中に飛んでいる小さい蝙蝠は、鬼気や妖気の問題を離れて、夏柳の下をゆく美人の影を追うに相応ふさわしいものと見なされている。わたしたちも子供のときには蝙蝠を追いまわした。
夏のゆうぐれ、うす暗い家の奥からは蚊やりの煙がほの白く流れ出て、家の前には凉み台が持ち出される頃、どこからとも知らず、一匹か二匹の小さい蝙蝠が迷って来て、あるいは町を横切り、あるいは軒端を伝って飛ぶ。蚊喰い鳥という異名の通り、かれらは蚊を追っているのであろう。それをまた追いながら、子供たちは口々に叫ぶのである。
「こうもり、こうもり、山椒さんしょう食わしょ。」
前の雁とは違って、これは手のとどきそうな低いところを舞いあるいているから、何とかして捕えようというのが人情で、ある者は竹竿を持ち出して来るが、相手はひらひらと軽く飛び去って、轻易に打ち落とすことは出来ない。蝙蝠を捕えるには泥草鞋どろわらじを投げるがよいということになっているので、往来に落ちている草鞋や馬のくつを拾って来て、「こうもり来い」と呼びながら投げ付ける。うまくあたって地に落ちて来ることもあるが、またすぐに飛び揚がってしまって、十に一つも子供たちの手には捕えられない。たとい捕え得たところでどうなるものでもないのであるが、それでも夢中になって追いあるく。
その泥草鞋があやまって往来の人に打ちあたる場合は少くない。白地の帷子かたびらを着た紳士の胸や、白粉おしろいをつけた娘の横面などへ泥草鞋がぽんと飛んで行っても、相手が子供であるから腹も立てない。今日ならばあきらかに交通妨害として、警官に叱られるところであろうが、昔のいわゆるお巡りさんは別にそれをとがめなかったので、わたしたちは泥草鞋をふりまわして夏のゆうぐれの町を騒がしてあるいた。
街路樹に柳をえている町はあるが、その青い蔭にも今は蝙蝠の飛ぶを見ない。勿論、泥草鞋や馬の沓などを振りまわしているような馬鹿な子供はない。
こんなことを考えているうちに、例の馬力が魔の車とでもいいそうな響きを立てて、深夜の町をきしって来た。その昔、京の町を過ぎたという片輪車の怪談を、私は思い出した。

停車場の趣味

以前は人形や玩具に趣味をって、新古東西の瓦落多がらくたをかなりに蒐集しゅうしゅうしていたが、震災にその全部を灰にしてしまってから、再び蒐集するほどの元気もなくなった。ことに人形や玩具については、これまで新聞雑誌に再三書いたこともあるから、今度は更に他の方面について少しく語りたい。
これは果して趣味というべきものかどうだか判らないが、とにかくわたしは汽車の停車場というものに就てすこぶる興味を有っている。汽車旅行をして駅々の停車場に到着したときに、車窓からその停車場をながめる。それが頗る面白い。尊い寺は門から知れるというが、ある意味に於て停車場は土地その物の象徴といってよい。
そんな理窟はしばらくいて、停車場として最もわたしの興味をひくのは、小さい停車場か大きい停車場かの二つであって、どちら付かずの中ぐらいの停車場はあまり面白くない。殊に面白いのは、と列車に二、三人か五、六人ぐらいしか乗降りのないような、寂しい地方の小さい停車場である。そういう停車場はすぐに人家のある町や村へつづいていない所もある。降りても人力車一台もないようなところもある。停車場の建物も勿論小さい。しかもそこには案外に大きい桜や桃の木などがあって、春は一面に咲きみだれている。小さい建物、大きい桜、その上を越えて遠い近い山々が青く霞んでみえる。停車場の傍には粗末な竹垣などが結ってあって、汽車のひびきに馴れている鶏が平気で垣をくぐって出たり這入はいったりしている。駅員が慰み半分に作っているらしい小さい菜畑なども見える。
夏から秋にかけては、こういう停車場には大きい百日紅さるすべりや大きい桐や柳などが眼につくことがある。真紅に咲いた百日紅のかげに小さい休み茶屋の見えるのもある。すすきの乱れているのもコスモスの繁っているのも、停車場というものを中心にして皆それぞれの画趣を作っている。駅の附近に草原や畑などが続いていて、停車している汽車の窓にも虫の声々が近く流れ込んで来ることもある。東海道五十三次をかいた広重が今生きていたらば、こうした駅々の停車場の姿を一々写生して、おそらく好個の風景画を作り出すであろう。
停車場はその土地の象徴であると、わたしは前にいったが、直接にはその駅長や駅員らの趣味もうかがわれる。ある駅ではその設備や風致に頗る注意を払っているらしいのもあるが、その注意があまりに人工的になって、わざとらしく曲りくねった松をえたり、檜葉ひばをまん丸く刈り込んだりしてあるのは、折角せっかくながらかえって面白くない。やはり周囲の野趣をそのまま取入れて、あくまでも自然に作った方が面白い。長い汽車旅行に疲れた乗客の眼もそれにって如何いかに慰められるか判らない。汽車そのものが文明的の交通機関であるからといって、停車場の風致までを生半可な東京風などに作ろうとするのは考えものである。
大きい停車場は車窓から眺めるよりも、自分が構内の人となった方がよい。勿論、そこには地方の小停車場に見るような詩趣も画趣も見出せないのであるが、なんとなく一種の雄大な感が湧く。そうしてそこには単なる混雑以外に一種の活気が見出される。汽車に乗る人、降りる人、かならずしも活気のある人たちばかりでもあるまい。親や友達の死を聞いて帰る人もあろう、自分の病のために帰郷する人もあろう、地方で失敗して都会へ職業を求めに来た人もあろう。千差万別、もとより一概にはいえないのであるが、その人たちが大きい停車場の混雑した空気につつまれた時、誰も彼も一種の活気を帯びた人のように見られる。単に、あわただしいといってしまえばそれまでであるが、わたしはその間に生々した気分を感じて、いつも舒畅に思う。
汽車の出たあとの静けさ、殊に夜汽車の汽笛のひびきが遠く消えて、見送りの人々などが静に帰ってゆく。その寂しいような心持もまたわるくない。わたしは麹町こうじまちに長く住んでいるので、秋の宵などには散歩ながら四谷の停車場へ出て行く。この停車場は大でもなく小でもなく、わたしにはあまり面白くない中位のところであるが、それでも汽車の出たあとの静かな気分を味わうことが出来る。堤の松の大樹の上に冴えた月のかかっている夜などは殊によい。若いときは格別、近年は甚だ出不精になって、旅行する機会もだんだんに少くなったが、停車場という乾燥無味のような言葉も、わたしの耳にはなつかしく聞えるのである。(大正十五年八月)

 

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