はじめ、アール・エ・アクシオンのララ夫人にその話をすると、「大使の紹介を貰つてらつしやい」と云つて、傍らにゐる夫君に笑ひかけた。ははあ、こいつは不味いと気がついて、僕は大使と懇意でない旨を答へると、夫人は、「誰かお国のえらい方から、文部大臣に話しておもらひなさい。コポオはさういふ風な男ですよ」と、今度は、露骨に片眼をつぶつて見せるのである。
ララ夫人は、御承知の方もあらうが、思想的にはコンミュニストであり、芸術的にはウルトラ・モデルニストであり、コポオが大戦中、仏国政府の命をうけて、亜米利加へ宣伝旅行にでかけたことを、少なからず軽蔑してゐるのだといふことがわかつた。
私は、手をかけて、今度は、ソルボンヌ大学のルボン先生に相談してみた。此の先生は日本の学生を大事にする先生だから、それでは自分が骨を折つてみてやる。その代り、わしの講義には出席しろといふやうなことで、しばらく機会を待つてゐると、丁度、大学へコポオが講演にやつて来た。ルボン先生は、早速、その後で私を呼んで、コポオ宛の紹介状をくれたのである。
それはたしか、一九二一年のセエゾンがはじまつた頃だと思ふ。
コルネイユの「□つき」が稽古にかけられてゐるある日の午後、私は、恐る恐るヴィユウ・コロンビエ座の裏門をくぐつた。
此の劇場には、舞台の前にプロンプタア・ボックスといふものがない。これは一に舞台の構造が然らしめるのではあるが、またもう一つは、台詞がしつかりはひつてしまつた後でなければ芝居をあけないから、その必要がないとも云へるのである。その代り、舞台の前面右手に、小さな部屋があつて、その部屋には、舞台の方だけが見える格子がついてをり、レジスウルが例のグルナディエ(幕の上げ下ろしをする合図の棒。これで床を叩くのである)を持つて立つてゐるのである。
そこで、私が案内されたのは、此の小さな部屋である。
コポオは、二三人の座員となにか話をしてゐたが、私の顔を見ると、右手で私の手を握り、左手を私の肩にかけて、頗る気軽に応対をしてくれた。
私はその時、予め用意して行つた文句をぶつぶつ云つたことは云つたが、なにしろ気をのまれてゐるので、ろくに舌がまはらず、ただ「ボン、ボン」といふコポオの声が、わけもなく私を感激させた。
やがて、彼は、傍らの一人に向ひ、「おい、バッケ、お前の受持だよ、此の青年は……。
それから、事務員を呼んで、毎回稽古の通知を出すこと、自由に小屋の出入を許すことなどの注意を与へてくれた。
バッケといふのは、「ルルウ爺さんの遺言」で主役をやり、附属演劇学校でデクラマシヨンの講義をしてゐる親切で暢気な俳優である。
何が困難だと云つて、殆ど毎日顔を合はしてゐるコポオと口を利くぐらゐ困難なことはあるまい。彼は一時も、ぢつとしてはゐないのである。
こちらも、また、つまらないことを話しかけて、時間を潰させてはと思ふから、なるべく黙つてゐる。それでも稽古の時など、私が腰かけてゐる席の際に腰をおろしたりすることがあると、舞台に向つて投げかける小言の合間合間に、私の方へ何かと話しかけることがある。それも、大概は、こつちの返辞なんか待つてゐないのである。それを知つてゐるから、私もいちいち返辞なんかせずに、笑つたり、肯いたりしてゐるだけで、うまく調子が合つて行くのである。
「サダヤツコつていふ女優は、あれや、ほんとにえらいんですか。駄目、駄目、その調子は……もう一度やり直し……」
といふ風に、コポオは、人をなんとも思つてゐないらしい。
私はバッケの勧めで、自由に科目を選択してもいいといふ条件で附属演劇学校に籍を置くやうになつたが、コポオの講義だけは欠かさずに聴いた。
その講義は、殆ど座談に近いものである。席に着くと、一座を眺めまはして、ニヤリと笑ふ。なにか悪戯をしたさうな顔つきである。一番前の列に、かしこまつて坐つてゐる一座の若い女優を見つけると、「寒いね」とか、なんとか云ひかける。それから、天井を見上げる。はじめは聴き取れないほどの声で喋舌り出す。少し吃り加減な口調が、次第に熱を帯びて来る。が、眼は絶えず笑つてゐる。そして視線は動いてゐる。
前にも書いたことがあるが、アンドレ・ジイドの「サユル」を稽古にかけ出してから、コポオは特别に気むづかしくなつた。
ある日、私は、作者のジイドと隣り合つて稽古を見てゐた。
コポオは自ら「サユル」に扮するのだが、ある場面で、ジイドが
「おい、君、君、其処は下手へ引込むんだよ」と注意した。
コポオはやり直した。が、また、平気で上手へ引込んでしまつた。
ジイドは、ちらと私の方を顧みて、苦笑した。
「ねえ、コポオ、今のも……」
「わかつてる」とコポオは、冷やかに云ひ放つた。「此の引込みは上手でなけれや不自然だ」
「だつて、庭は下手だよ。そのつもりなんだ」
「どら……」と、またやり直して見て、やつぱり上手へ引込んだ。
ジイドも、流石にあきれて、肩をぴくんと聳やかした。
余談であるが、此の時、ジイドは、私の方に手を出して、英語で、「マッチをおもちですか」と問ふのである。勿論煙草を喫ふためであるが、私は、彼がなんのために、ここでわざわざ英語を使つたか、甚だ腑に落ちないのである。なぜなら、それまで二人は仏蘭西語で話をしてゐたのだから。私が「Voi ci」と云つてマッチの箱を出すと、煙草に火をつけ、また「Thank you」とやつたものである。なるほどかれは、シェイクスピイヤの翻訳をやつてゐる。それだけなら、なんの奇もないが、仏蘭西の文学者で外国語のできるものは甚だ稀れであり、そのことだけが、文名一世に高きアンドレ・ジイドをして、英語で「マッチをおもちですか」と云はせたのだ――といふ皮肉な解釈をして見るのも面白いではないか。尤も此の場合、いろんな理窟もつけられるにはつけられるが。
そんなわけで、私は、しばらく、ヴィユウ・コロンビエ座の隣にある同名のホテルに宿をとつた。南京虫の跋扈する安下宿で、便利だといふ以外に取柄はないが、其処のお神さんは、私を役者だと思つてゐたから可笑しい。
コポオは、朝晩、例の目の荒い碁盤縞の外套をひつかけて、此のホテルの前を通つた。私は、如何なる場合のコポオよりも、その黙々として狭い石畳の上を歩くコポオの姿を、最も鮮やかに思ひ浮べることができる。
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